☆蘇った色彩4 ☆
【雪輪の小紋】 昭和7年
雪輪や菊の地紋が織りだされている生地に、手描き雪輪文を染め抜きにして、反物を瑠璃紺に染め、地紋に刺繍を加えた「地紋起こし」の、贅沢な小紋です。
雪の結晶の輪郭を曲線でつないだ雪輪文は、文様化されているところから、季節を問わず着物の文様として使われています。夏に涼しさを演出する模様としてもおなじみです。
◆ 下の写真は、昭和7年1月8日 岩田狐松庵宅にて
(絹様のお茶の先生のご自宅)と記されています。(右側の着物です)
帯は10月にご紹介した、「大正ロマンの訪問着」と同じ帯を結んでいます。
当時は小紋にも丸帯を合わせていたようです。
大正時代に名古屋の女学校の先生が考案した「名古屋帯」は、一般にはまだ、盛んに使用されるまでには至っていなかったものと推測しています。
再現した画像は、カラーコーディネートもセンスが良く、現代にも通じます。
衣桁にかけた着物と模様の拡大図です。着装すると隠れる部分まで、繊細な刺繍が施されています。
良く見ると地紋の雪輪と、染め抜きの白い雪輪、ねじり梅や菊の刺繍も美しいです。
絹様はこの着物をお好みのようで、お茶会に何度かお召しです。今回はこの着物の画像を続けてご覧頂きます。
◆昭和8年1月12日 内藤杏園亭にて初釜式(後列右側)
前年とは違う帯を合わせています。この帯につきましては、来年1月の「着物語り」にてご説明いたします。
◆昭和10年1月7日 初釜にて
席中の写真(右から2人目)
下の席中の写真は右から3人目です。
下の写真は左から2人目です。
初釜終了後の写真です。お一人を除いて、皆様羽織を着用されています。(前列左)時計の針は午後3時50分をさしています。
写真の裏には、「芝區車町6 魚谷写真所」の印があります。芝區車町は、かの江戸川乱歩氏も一時住んでいた、今の港区高輪です。
◆昭和13年11月3日 寛永寺大師会茶会(後列左から3人目)
下は席中の写真です(右から3人目)
格式高い大師会茶会にお席を持たれた絹様の先生は、ご立派な先生であられたと思います。
【12月の写真】
昭和6年12月6日
ご自宅でくつろぐ絹様と一番下のお妹様です。この着物と同じ大島の着物を拝見した記憶があります。いづれご紹介出来る機会があるかも知れません。
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